海の見える街

意味とか価値とか、そういうのがあると最高に良い

日用品

写真だって文字だってみんな絵だって牧師は言った、構造主義者の殺人動機、水面で死んでいる風船、何人目までが私か、それだけを考えている、嫌いって感情を知りたかっただけ、ぜんぶから逃げたいって思ったら肺を汚せばすべて許されるから、煙草と花束はよく似てる、硝子細工のコートを着て街に出掛ける、帰りに牛乳とボタンとカフカを買ってこよう、そしたら私は神様になって、部屋を掃除しはじめる、口ずさむ音楽はもう形式上の音楽でしかない、私は神様なのだから、福音となって戦争が起こる、なんてことと微笑を浮かべて、私はカフカを食べる、

耽美派の手記

見るものぜんぶ燃えてしまえばいいって思うけど、一番燃やしたいのは自分だし、死にたいというよりは死んだほうがいいって思うけど、死んでなんかやらないとも思う。生きることが罰なんだよって戒めたあと、ただそうやって正当化をして、死にたくないだけだって気づく。戦争や災害はあるけれど、この世界は完璧だ。あまりに完璧に見えるから、なにひとつ欠けてもだめな気がして、だから死なないでって思う。誰かに死なないでなんて思ううちは、まだ自分以外の世界に干渉しようだなんて図々しさが残っているうちは、死んだらいけないんだと思う。

「お前は混じりけのない氷のようだね」

そう言われて、罪を暴かれたような気分になった。最低な気分。狂っているふりをしているのか、本当に狂ってしまっているのか、もう自分では判断できない。こんな苦悶や懊悩も、どうせ何千何万のひとたちが持っているのとそう大差なくて、この絶望すらも特別なんかじゃなくて、やっぱりぜんぶ燃えろよって思うんだ。

どうせ死なない。自分はこうやって生きていく人種なんだ。美しくありたい美しくありたい美しくありたい美しくありたい美しく美しく美しく美美美美美美……。狂気に抱かれて今日も眠る。

婦人

小さな頃から、土が嫌いだったし海は怖かった、皆そうだと思っていた、クジラはすべてを見透かしていた、そうしてかみさまみたいに生きることを強いられて、全部喪うために手に入れたひとの話、何か掴んだような気がするたび、今死ねば永遠に自分のものになるような錯覚と、果てのない古い街の市場の話、一緒にしよう、油絵の勉強がしてみたい、かみさまと、鉱物と、花束の絵を描いてみたい、

汚濁の瞳

 その者は致死量の優しさを持ち、狂おしいほど美しかった。

 私が死んで、千年が経ってもその者は生きながらえているような気もしたし、つい明日には息絶えてしまうような気もした。

 結局、私はきっとその者について、何も知り得なかったのだ。

 その者は生来生まれ持った卓越した弁舌と、虚偽を謀るに何ら罪悪を感じ得ない精神をもって、誰にも悟られず、誰も信じず、その濁りきった生き方を是としながら、それでいてただただ自分を厭うように、緩やかな退廃を体現していた。

 私はその者の在り方を、とてもではないが肯定することは出来なかった。そしてその者もまた、自らそうした生き方を自分に強いているにも拘らず、どうやらその生き方に苦悶し、懊悩し、疲弊しきっているようだった。

 私にはその者が一体何に怯え、そうした生き方を自らに強いているのか判らなかった。どころか、その者は平時至って正常で、よく笑い、お道化、時折ひどく沈んだ横顔を見せるだけで、その横顔も、すぐに厚い皮のようなものに隠れてしまうから、私も平生はその者が内に何らかの異常性を秘めていることを失念してしまう位であった。ただ、私にかろうじて知覚出来得たのは、その者と我々との間に、とてもちいさく、それでいて厳然と横たわる、一筋の亀裂のような隔絶であった。

「どうして、『そう』なの」

 私は思い切って、その者にそう尋ねたことがある。今にして思えば、おそらく私がその者との関係において、唯一その亀裂に足をかけた瞬間であった。

「驚いた、驚いた。君は、目がよいのだね」

 その者は一度だけ目を見開いて、数度頷いたあと、

「ずっと、ずっと『こう』なのだ。気づいたら『こう』だったのだ。これより他生きる術を知らないのだから、仕方あるまい。どうだい、異常だと思うかね」

 そう言ってちいさく首を傾げた。長い前髪から覗く双眸には、生物としてあるべき光沢はなく、その者の生き方同様に濁っていた。観察されている、そう思った。

「それほどに、偽るのが苦痛であるならば、いっそひとりになってしまえばいいわ。まさか貴方も、自分を騙そうとはしないでしょう」

 私はあえて、死ねとは言わなかった。きっとこの者にそう言えば、躊躇なく首肯し、そしてこの回答にたちまちに失望するであろうという予感があった。

 その者は笑った。その笑いには自虐の色が多分に含まれていたけれど、偽りのない、その者の真の笑みであった。

「面白い事を言う。誰とも関知せず、ひとりで完結できてしまうような生物を、人間とは言わないさ。ぼくは人間でありたい。

 いいかい。君は確かに美しい。花の様だ。けれどもだからって、ぼくのようなみじめな者をあまり虐めてはいけないよ」

 その者は口端をわずかに持ち上げて、去っていってしまった。それ以来、私はその者に会っていない。

 今でも時折その者の事を思い出す。長い髪や、細い指、そしてあの汚濁の瞳を思い出す。何処かで救われているだろうか。それとももう人間であることをやめてしまっているのだろうか。判らない。そもそも人に自分以外の人間の事など判る筈がないのだ。それを最も理解していたのは紛れもないその者であった。果たして私にあんな、狂おしいほど美しい生き方が出来ただろうか。人というものにあれだけ誠実に向き合っていた人間を、私は他に知らない。そのことを言い損ねた事だけが、後悔といえば後悔である。炬燵のコードでつくった輪を前に、私は思う。

 君の優しさは致死量である、と。

枕木の代わりに死体を置きましょう。
どちらもぼくにはそう変わりはないから。
白無垢のような彼女が、ぼくは気持ち悪い。
小説の中でなら、いくらでも許してあげたのに。
それはぼくも同じかと思い直して、花を折る。
彼女は想う。
生と死の概念が反転した世界のこと。
ぼくらは今死んでいて、
いずれ生まれゆく存在かもしれないということ。
願わくは悪夢がずっと見られますように。
いつまでも病んでいたいなんて、
残酷な彼女のことだ、
許してはくれないだろう。
潔白の化物だ。
ぼくはその身も凍るように美しい白になら、
殺されてもかまわない。

やさしくなんて

「死にたい」彼女は泣いた。

 きっと随分前からそうやって生きてきたのだ。

「じゃあどうして泣いているの」ぼくは問う。

 自分の物じゃないみたいに、声に温度はなかった。

「死は解放なんだろう? ならどうして泣く。生きるよりも、死ぬ方が楽だから人は死ぬんだ。だったら笑うべきだ」ぼくは煙草に火をつける。

 最低に不味い。

「ぼくはそうやって生きてきたよ。死ねない自分を恥じながら、死にたがりになれない自己を憎悪しながら。ずっと何かを探している。

 君がぼくに何を求めていたか、知らないけれど、知りたくもないけれど、一緒に死んでなんかやるものか。殺してさえあげない。

 ねえ、君は本当に死にたいのかな?」

「私は……死にたい」彼女の語調は弱い。

「ならなぜ泣くのだ」言う。言う。何かがぼくにそうさせる。

「笑えよ。笑って死ね。未練なんてあっちゃいけない。そして、笑えないなら、死ねないなら、君は生きるべきだ。どれだけつらくとも、どれだけ死にたくとも、生きるべきだ」生きて、そして死ぬべきだ――ぼくは煙を吐いた。

「あなたのこと、もっとやさしいひとだと思っていた」彼女は、静かに。

「甘えるな」煙草の煙は、緩やかに上昇してゆく。

海と警句

朝か夜かもわからない。
海岸は静寂の縄張りだ。
ぼくは肺を汚していく。
神様の真似がしたかったんだね。
命なんて些事だと思いたくて。
海は胎動をやめてしまった。
老いた奇跡はこんなにも美しくて。
金属の匂い。
切なくて泣きそうだ。
芸術を君たちはしない。
ぼくだってしたくなかった。
こんな高尚なもの。
生きろ、そして死ねと海は言うの。
死んでいく君の瞳に確かな祝福を。
メメントモリ……