2016-12-16 雪上の寿命 罪を暴かれた処女の厳密性を、一体誰が知り得ようか、漂うだけの沈丁花の人格を、全体誰が知り得ようか、一杯の粗目のような書物に、私という鉱石というにはあまりに粗悪な、それでいて高邁な一点が記述するには、おそらく清廉さが、あるいは潔浄さが足りない、それはきっと処女性と呼びうるもので、つまり宗教はそうした文脈のなかで成熟してきたのだ、