海の見える街

意味とか価値とか、そういうのがあると最高に良い

三月の化石

「私はあの子になりたい」
三度目の春に彼女はそう言った。
「ぼくはずっと海が見ていたいな」
吐く煙は細く、淡く。油絵の勉強と称して行った植物園には、ネモフィラの花が咲いていた。
「学者なんて最低な生き物よ」
そう言って彼女は煙草を一本ねだった。
「だめ。身体に障るよ」
「あなたの指って、すごく綺麗だわ」
「褒めたってあげない。それにピアノは弾いたことがない」
遠くで水の音がする。彼女の絵を、ぼくは描いたことがない。海辺の堤防に腰掛けた彼女を想像する。
「ねえ。今度、海に行こうか」
「厭よ。潮のにおいはきらい。母を思い出す」
彼女は海を老いた奇跡と呼ぶ。胎動をやめてしまったから、あんなにも美しいのだと。その前は彼女の実家の古い蔵からでてきた埃を被った人形を神様と呼んでいた。彼女の哲学はいつだって難解だった。
指の間で藍色のビー玉を転がすのが彼女の癖だ。陽光が彼女の頬に反射する。綺麗だと思った。
「ねえ、やっぱり、今度海に行こうか」
きっとそれが、正しい選択なのだろうと思う。